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日本の主要な仏教宗派

  • 日本の主要な仏教宗派は13を数え、
  • 宗派からされに細かく枝分かれした派を加えると、総数は150以上にのぼります。
宗派宗祖開祖年本山系統
法相宗道昭653興福寺・薬師寺

 

 

奈良仏教系

宗派

華厳宗良弁740東大寺
律宗鑑真759唐招提寺
天台宗最澄806延暦寺

 

密教系宗派

真言宗空海816金剛峯寺
融通念仏寺良認1117大念佛寺

 

 

浄土系宗派

浄土宗法然1175知恩院

 

浄土真宗

 

親鸞

 

1224

西本願寺

東本願寺

ほか

臨済宗栄西1191妙心寺・建長寺ほか

 

禅系宗派

曹洞宗道元1227永平寺・總持寺
日蓮宗日蓮1253久遠寺日蓮系宗派
時宗一遍1274清浄光寺浄土系宗派
黄檗宗隠元1661萬福寺禅系宗派
一度は行ってみたい!但馬の古刹・古寺
  • 行先
  1. 東楽寺」豊岡市(高野山真言宗)
  2. 文常寺豊岡市(高野山真言宗)
  3. 金剛寺豊岡市(高野山真言宗)
  4. 妙楽寺豊岡市高野山真言宗)
  5. 温泉寺城崎町(高野山真言宗)
  6. 円通寺竹野町(臨済宗南禅寺派)
  7. 蓮華寺竹野町(高野山真言宗)
  8. 旧大岡寺庭園日高町(高野山真言宗)
  9. 進美寺日高町(天台宗)
  10. 観音寺日高町(天台宗)
  11. 隆国寺日高町(曹洞宗)
  12. 称名寺出石町(浄土宗)
  13. 宗鏡寺出石町(臨済宗大徳寺派)
  14. 総持寺出石町(高野山真言宗)
  15. 松禅寺但東町(臨済宗妙心寺派)
  16. 蔵雲寺但東町(臨済宗大徳寺派)
  17. 日光院八鹿町(高野山真言宗)
  18. 浅間寺八鹿町(高野山真言宗)
  19. 今滝寺八鹿町(高野山真言宗)
  20. 福王寺大屋町(高野山真言宗)
  21. 蓮華寺大屋町(高野山真言)
  22. 山路寺大屋町(高野山真言)
  23. 法宝寺和田山町(高野山真言宗)
  24. 円龍寺和田山町(浄土宗)
  25. 金蔵寺生野町(浄土真宗本願寺派)
  26. 大林寺山東町
  27. 大同寺山東町(臨済宗妙心寺派)
  28. 楽音寺山東町(高野山真言宗)
  29. 鷲原寺朝来町(高野山真言宗)
  30. 日輪寺朝来町(高野山真言宗)
  31. 大乗寺香美町(高野山真言宗)
  32. 帝釈寺香美町(高野山真言宗)
  33. 相応峰寺新温泉町(天台宗)
  34. 楞厳寺新温泉町(臨済宗天龍寺派)
  35. 玉田寺新温泉町(臨済宗天龍寺派)
  36. 正福寺新温泉町(天台宗)
  37. 泰雲寺新温泉町(臨済宗天龍寺派)
  38. 善住寺新温泉町(高野山真言宗)
  39. 正楽寺新温泉町(天台宗)
  40. 龍満寺新温泉町(曹洞宗)

豊岡市 東楽寺(高野山真言宗)

東楽寺(とうらくじ)

近くの中山の山上にあった千眼寺の塔頭が元寺。

  • 寺宝の四天王立像持国天増長天広目天多聞天)が残っています。藤原時代に製作されたもので桧材一木造、当時の優れた仏像として貴重な存在です。
  • ほかにも、日本三大聖天のひとつで本尊の秘仏「勧喜天」「絹本著色両界曼荼羅図(けんぽんちゃしょくりょうかいまんだらず)」などがあります。

豊岡市 文常寺(高野山真言宗)

文常寺(もんじょうじ)

国指定重要文化財である「聖観音立像」一般的な形の小仏像です。

  • 着衣の褶も浅く穏やかな彫りでもあるし、顔の表情も柔和で、目も耳も三道も平安時代の末期のものであると思われます。
  • 同じ厨子の中に二尊安置されている県指定重要文化財となっている聖観音立像秘仏となっています。

豊岡市 金剛寺(高野山真言宗)

金剛寺(こんごうじ)

旧丹後道が豊岡盆地の東縁部に抜ける所に街道を挟むようにして金剛寺塔頭群があった。

  • 街道口に関屋の地名が残るとこから、中世期、寺がこの地に関所を置いたことは明らかです。
  • 真言宗として発足したものと思われるが、南北朝期には律宗に転じ、本山西大寺末寺の中でも有力な地位を占めたらしい。
  • 利生塔の指定や巨大「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」の存在はそのことを示しています。

豊岡市 妙楽寺(高野山真言宗)

妙楽寺(みょうらくじ)

真宗寺院として、平安末期には創始されていたと考えられています。南北朝期、美含(みくみ)郡本見塚(現香美町)に関所を置いて因幡道の流通を握っていたらしい。

  • 山名氏守護所を守ると戸辺羅(とべら)山城塞群の中の妙楽寺城域は寺域と一体化し、1390年(明徳元)の山名氏内紛によって山名氏清が同城の時熈(ときひろ)を攻めた。
  • 十二支院を持つ大寺であったが、後に第一支院薬師院が妙楽寺を名乗った。
  • 弁慶が頼朝の使者としてきたとの伝承がある。

城崎町 温泉寺(高野山真言宗)

温泉寺(おんせんじ)

大師山中腹に位置し、高野山真言宗の別格本山。縁起によれば、城崎温泉を開いた道智上人(どうち)により創建され、738年(天平10)、聖武天皇から未代山温泉寺の勅号を賜ったとされる。

  • 城崎温泉の歴史を伝える宝物を数多く所蔵。本堂は、桁行5間、梁5間、一重、入母屋造の銅板葺きで、建立年代は1387年(至徳4)と但馬でも古い仏殿であります。
  • 和様、天竺様(てんじくさま)、唐様の折衷様式に特色があり、中でも天竺様の色彩が濃厚であります。
  • 江戸期に2度修復を受け、1968年(昭和43)~1970年(昭和45)の解体修理により、すべて創建当初の様式が復元された。
  • 本尊の「十一面観音立像」は檜の一木造。素地仕上げで、体には荒々しいノミ跡が残り、素朴さと力強さを持った像です。
  • その他にも「千手観音立像」「釈迦十六善神像」「石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)」などの貴重な文化財が安置されている。
  • 本堂の東側には「城崎美術館」があり、同寺の所蔵品や城崎町での出土した埋蔵文化財を多数展示しています。

竹野町 円通寺
(臨済宗南禅寺派

円通寺(えんつうじ)

1389年(康応元)、時の但馬守護、山名時義・時熈(ときひろ)父子が、高僧月庵和尚(げつたんおしょう)をして創建される。

  • 大石内蔵助の次男吉千代は塔頭のひとつ・善門寺に入った。臨済宗南禅寺派、中本山で格式のある寺院で、別名「あじさい寺」とも呼ばれる。
  • 曲(きょく)とうに座す月庵の肖像を斜左から描いた、「絹本淡彩月庵宗光像(けんぽんたんさいげったんそうこうぞう)」は、1383年(永徳3)月庵58歳の時に描かれたもの。図上部には自ら賛を記している。
  • 画像は写実的で、和尚の顔の特徴を正確に伝えると考えられている。

竹野町 蓮華寺(高野山真言宗)

蓮華寺(れんげじ)

寺伝によると707年(慶雲4)行基(ぎょうき)の開創といわれている。

  • かつては但馬高野とよばれた名刹で、但馬の信仰文化の中心として隆盛を極めた。
  • 杉や檜におわれた広い境内には1847年(弘化4)の造立とされる商売繁盛・学業成就の弁財天など多く石像を集めた「賽(さい)の河原」がある。
  • また、細線技法、彩色に鎌倉時代の特色を残す「絹本著色大日如来像(けんぽんちょしょくだいにちにょらいぞう)」や、密教で信仰される男女の煩悩を救う仏、愛染明王を描いた「絹本著色愛染明王像けんぽんちゃくしょくあいぜんみょうおうがぞう)」といった仏画も所蔵している。
  • 貴重な民族芸能である「轟の太鼓踊り」はお盆の施餓鬼供養(せがき)として行われる。

日高町 旧大岡寺庭園
(高野山真言宗)

旧大岡寺庭園(きゅうおおおかじていえん)

縁起によると奈良時代に賢者仙人によって大岡山の山中に開創されたといわれる。

  • 平安時代末期には薬師寺、護法所拝殿、温屋(ゆや)、僧坊などの堂舎のほか、大岡神社、白山権現社などが建立されていた。
  • 1495年(明応4)に全山焼失したが、その後、再建された。周辺民家の山麓への集団移住に伴い1967年(昭和42)より現在の地へ移築、元の場所には「庭園」だけが残されている。
  • 標高507mに位置する「庭園」は、石組みと巨石を多く配した「池泉鑑賞式庭園」である。福井県一乗谷の朝倉氏諏訪館庭園に似た作庭手法から、戦国期のものであるとされる。
  • 大岡山の斜面を利用して、裏山も取り込み、実際よりも広く感じられる。中心は滝石組で、もとは頂上付近から流れ出る水が滝へ注がれていたと考えられるが、今は枯山水となっている。
  • 滝上部の立石は守護石とされ、本庭の中心地石でもあり、堂々とした風格を漂わせる。

日高町 進美寺(天台宗)

進美寺(しんめいじ)

1197年(建久8)から、源平合戦で犠牲になった人々の霊を供養するため「五輪宝塔三百基造立供養」が行われた。

  • 願主は但馬国守護・安達親長(ちかなが)で、五輪宝塔三百基造立祈願文には「鎌倉殿(将軍源頼朝)の仰せにより全国8万4千基の五輪宝塔を造立するにあたり、但馬国の300基を進美寺で開眼供養を行う。
  • それは源平内乱で数十万に及ぶ戦没者を慰め怨を転じて親となそうとする趣意からである」とあり、法句経の経文を引用し怨親平等の思想を説いた名文である。
  • 1392年(明徳3)に寄進された「鰐口(わにぐち)」は、直径66cmと大型で、現存する当時のものとしては貴重な品である。

日高町 観音寺(天台宗)

観音寺(かんのんじ)

平安中期から後期にかけて創建されたと伝わる。「仁王門」は形式や手法から、室町中期の建立と推測される。

  • 桁行3間、梁間2間、寄棟造で桟瓦葺(さんがわらぶ)き。正面柱間が3間で、出入り口1カ所、いわゆる三間一戸一重間である。
  • 両脇の間、全面の床を板張りにしている手法は珍しい。石段を上ると門と鐘楼が一体となった鐘楼門さらに本堂が鎮座する。
  • 本堂の宝楼閣は、山の斜面を利用し、京都の清水寺とよく似た舞台造である。

日高町 隆国寺(曹洞宗)

隆国寺(りゅうこくじ)

山名四天王のひとり楽々前城主(ささくま)・垣屋隆国の菩提寺として1587年(天正15)阿瀬金山に建立。江戸時代に現在の地へ移されたとされる。

  • 本堂にある「孔雀の図」など見事な36面の襖絵は、円山派と対峙した岸連山(きしれんざん)の一門が描いたもの。
  • 1792年(寛永4)に再建された山門は、三さん(但馬、丹後、丹波)随一と称され、楼上には釈尊、文殊、普賢の釈迦三尊像十六羅漢像が祀られている。
  • 境内正面及び両側に配する石垣は、創建当時につくられたもので、神鍋溶岩の蒸し石を巧みに組み合わせ重厚な構えをみせる。
  • 4月下旬~5月上旬頃にはボタンの花が咲き乱れ、通称「ボタン寺」として親しまれている。

出石町 称名寺(浄土宗)

称名寺(しょうみょうじ)

阿弥陀如来座像は、豊岡京極家菩提寺瑞泰寺の本堂であったもので、1678年(延宝6)の造立、銘に「七条大宮下流京下御霊之町大仏師左京作」とあり、京都の仏師を呼んでほらせたものであるとわかっている。

  • 県指定文化財の「地蔵菩薩立像」は檜の一木造で、一般的な地蔵菩薩の造形をしている。
  • 平安前期にみられている着衣の彫りであるが、衣文(えもん)の彫りがあさいことから平安中~後期に造られたと推測されている。

出石町 宗鏡寺
(臨済宗 大徳

宗鏡寺(すきょうじ)

山名氏清(時熈(ときひろ)の説も)により1392年(明徳3)此隅山(このすみやま)山麓に山名氏の菩提寺として創立されたとみられる。

  • 山名祐豊(すけとよ)が早世した子、棟豊のために復興したが、羽柴勢による此隅山城落城の時、運命を共にした。
  • 1616年(元和2)に沢庵和尚が、時の出石藩主小出吉英(よしふさ)に復興をすすめ、現在の場所に移され以後歴代の藩士の加護を受けてきた。
  • 沢庵和尚の功績を讃え、別名「沢庵寺」とも呼ばれる。寺内には沢庵手づくりと伝わる庭園があり、1968年(昭和43)には、沢庵が庵を建て静かに生活を送ったとされる「投渕軒(とうえんけん)」が復元された。
  • ほかにもお手植えのワビスケ夢見の鏡など、和尚ゆかりの品が残っている。

出石町 総持寺(高野山真言宗

総持寺(そうじじ)

奈良時代に行基が開いたとされる古刹。代々但馬守護・山名氏の崇敬篤く、祈祷寺(きとうじ)として庇護を受けた。

  • 本尊の「十一面千手観音立像」の勧進奉加帳(かじんほうかちょう)には1536年(天文5)9代山名祐豊を始め家臣、多数の人々の寄進によって造立されたことが記されている。
  • 室町時代末期の等身大の仏像で、檜の寄木造、素木で造られている。光背と台座は1600年(元禄3)に出石藩主夫人が寄進している。
  • 現在は精進料理の寺としても知られている。

但東町 松禅寺
(臨済宗 妙心寺派)

松禅寺(しょうぜんじ)

寺内の薬師堂に安置されている「薬師如来坐像」は、平安時代の作といわれる。

  • 彫りの浅い優麗な姿で、平安期の特色を色濃く表している。素材は檜で一木造
  • 背面と両脚部に大きい内抉(うちぐ)りを施している。定朝様式(じょうちょうようしき)の典型的仏像をいえる。
  • 本尊は延命地蔵菩薩立像

但東町 蔵雲寺
(臨済宗 大徳

蔵雲寺(ぞううんじ)

室町時代の両僧、明兆(みんちょう)の作と伝わる「絹本著色十六羅漢図(けんぽんちょしょくじゅうろくらかんず)」兵庫県淡路島で生まれ、京都・東福寺に入り、殿司(でんす)の役(禅寺にて本堂を司る)を務めたところから兆殿司と呼ばれ、東福寺のために多くの仏画や頂相(ちんそう)を制作した。

  • 蔵雲寺の十六羅漢図は4幅入り4重の桐箱に収納され、中国の仏画を手本とした水墨画の技法がみられる。

八鹿町 日光院(高野山真言宗

日光院(につこういん)

寺伝では、6世紀に日光慶重(けいちょう)という道士が、草庵を結んで建立したと伝える。本尊は妙見大菩薩。妙見信仰の一大霊場。

  • 「日光院文書」は、巻子本6巻などに仕立てられ、未成巻の6面とあわせ、合計97通の古文書で、1269年(文永6)から1579年(天正7)までのもの。内容は主に室町時代の寄進状である。
  • 但馬守護の山名持豊(宗全)をはじめ、垣屋・八木・太田垣氏など但馬の有力武将たちの祈願所であった。
  • 中世にはその寺領は播磨因幡にも及んだという。

八鹿町 浅間寺(高野山真言宗

浅間寺(あさまじ)

戦国時代の武将八木氏の庇護篤く、薬師如来像・十二神将像(じゅうにしんしょうぞう)の修復、日光・月光菩薩像の制作は、1573年(元亀4)に、八木城主・八木豊信が命名したものである。

  • 平安期の造立をいう「薬師如来坐像」は寄木造で、肉身を漆箔(しっぱく)とし、着衣に朱を彩っている。面部の幅は広く、螺髪(らほつ)は細かく、衣文(えもん)の彫りは浅彫り。
  • 元禄年間(16881704)に建立した薬師堂には、二十四孝の彫刻が刻まれている。

八鹿町 今滝寺(高野山真言宗

今滝寺(こんりゅうじ)

山名四天王のひとりであった八木城主八木氏の菩提寺で、1069年(延久元)に創建したとされる。

  • かつては観音堂(本堂)を中心にして九院三坊の寺院があった。現在は本堂と仁王門が残る。
  • 仁王門の「木造金剛力士立像」は、体内の墨書銘から1257年(正嘉元)に制作されたもので、仏師は阿形像(あぎょう)が澄玄、吽形像(うんぎょう)が淡路公(あわじのきみ)と判明した。
  • 彫刻は素朴かつ重厚で地方作と思われるが、鎌倉時代中期の力強い力士像である。
  • また「鰐口(わにぐち)」は1416年(応永23)の寄進で圏線(けんせん)が細く、繊細な鋳造がなされている。

大屋町 福王寺(高野山真言宗

福王寺(ふくおうじ)

本尊の「阿弥陀如来立像」は、高さ3(約97cm)寄木造で鎌倉時代中期の作とされる。

  • 平安時代後期の丸顔を主体として、鎌倉時代のやや面長で厳しい表情が加わっている。
  • また、脚部の着衣はY字形の衣紋の形式で、衣の袖は薄く彫刻し、平安時代後期の特徴を示す。
  • 平安時代と鎌倉時代の様式を合わせ持つ、美術史的に価値の高い優れた仏像である。

大屋町 蓮華寺(高野山真言

蓮華寺(れんげじ)

弘仁年間(810824年)弘法大師によって、帰命山安養寺として開創される。江戸期に現在の蓮華寺と名を改めた。

  • 本尊の弥勒菩薩は、江戸中期に奈良より勧請したもの。「聖観音菩薩立像」は、平安時代後期の作と推定される。檜の一木造である。
  • 内抉(うちく)りはなく、両眼は彫出する。境内にある三重塔を改修したという、楼閣2階建ての赤堂の六角宮殿に安置されている。
  • 亀島を持つ阿地池(あじいけ)と渓谷風の滝を持つ心地池(しんじいけ)の2庭園があり、市の文化財に指定されている。
  • また、有数の紅梅の古木もあり、別名夏梅(なつめ)の庭園」とも呼ばれる。

大屋町 山路寺(高野山真言

山路寺(さんろじ)

開創年代は1047年(永承2)、本尊は十一面観世音菩薩。開山は熊野権現の勧請を盛んに行ったという覚僧上人(かくそう)。

  • 1750年(寛延3)の火災により、1753年(宝暦3)に現在の場所に再建された。
  • かつて9カ寺としていたが、現在はそのほとんどが廃寺となっている。寺宝として本尊 秘仏 十一面観世音菩薩や「山路寺障壁画」などがある。
  • 「山路寺障壁画」は襖30面・屏風2曲・掛軸3幅で、作者の片山楊谷(ようこく)は円山応挙にも師事した鳥取の絵師。
  • 老松図猛虎図牡丹孔雀図など、力強い迫力や精緻(せいち)な描写は、但馬を代表する障壁画である。
  • 法会行事として、本尊開帳法会50年毎)、修正会(11日から3日間)などが行われる。

和田山町 法宝寺(高野山真言宗

法宝寺(ほうぽうじ)

749年(天平21)、行基によって創建されたと伝わる。本尊の「薬師如来坐像」は平安時代の作。

  • 本尊は33年ごとに開帳される秘仏。寄木造で膝は普通1材で作られるが、2材から作られており非常に珍しい「石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)」は南北時代の造立で、材は花崗岩。笠石(かさいし)の下部を請花(うけばな)とし、基礎の反花(そりばな)と対応させている。
  • 羽柴秀吉による但馬攻めの際の制札が残る

和田山町 円龍寺(浄土宗)

円龍寺(えんりゅうじ)

金銅仏としは、但馬最古の「金銅菩薩立像」。造立は奈良時代で白鳳仏とされる。

  • かっては阿弥陀三尊の脇仏であった。頭部の宝髪(ほうはつ)前に水瓶(すいびょう)を置き、左右の耳の上にある宝冠の飾りと、好対称をみせる。
  • 側面観は飛鳥様式。寛延年間には開山上人、欣求離厭和尚(ごんぐりえん)の護持仏であった。

生野町 金蔵寺
(浄土真宗本願寺派

金蔵寺(こんぞうじ)

社寺縁起には「京西本願寺派 興正寺末 金蔵寺」と記され、浄土真宗本願寺派の寺院「銅鐘」は1267年(文永4)に鋳造された名鐘

  • 700年以上の歴史があり、その変遷が池の間(銅鐘の部分名)に刻み込まれた珍しい存在である。
  • 物資不足の第二次世界大戦中、金属類は次々と没収されたが、この鐘は免れ1983年(昭和58)県の文化財に指定された。

山東町 大林寺

大林寺(だいりんじ)

今は廃寺となり観音堂を残すのみとなっているが、伝承かみると由来ある古刹

  • 本尊は千手観音でかなり古い作と思われる。不動明王も祀られている。
  • 松尾坊跡から出土した「鰐口(わにぐち)」は1388年(嘉慶2)に作られたもので、在銘鰐口としては但馬最古のものである。
  • 青銅製で撞座(つぎざ)に優美な蓮華を表し、銘帯の上部に「但馬国」、右方に「大林寺 願主五郎左衛門尉幸信(ごろうざえもんのしょうゆきのぶ)」(当地の豪族の名)、左方に「嘉慶二年戊辰正月十八日 大工橘守正(たちばなもりまさ)」刻文がある。

山東町 大同寺
(臨済宗妙心

大同寺(だいどうじ)

月庵和尚(げつたん)を中興の祖とし、1372年(応安5)に開創したと伝わる。

  • 代々但馬守護・山名氏の庇護を受け禅寺として栄えた。「開山堂」は1683年(天和3)の再建とされる。
  • 正面5間、側面5間の入母屋造で、屋根は桟瓦葺(さんがわらぶ)き。県下でも類例の少ない江戸中期の唐様を基調とした仏堂遺構である。
  • 近年はモリアオガエルの生息地としても知られる。

山東町 楽音寺(高野山真言宗

楽音寺(がくおんじ)

大同年間(806~810)に創建したとされす古刹。県指定文化財である「経瓦(きょうかわら)」「仏涅槃図(ぶつねはんず)」「両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず)」を所蔵する。

  • 特に「経瓦」は阿弥陀如来像が彫り込まれ全国的にも珍しい。
  • また、境内600㎡の前庭には、ウッギの花が咲く5月末から6月中旬に、土の中から成虫になったウツギノヒメハナバチが飛び回る。かっては何万匹もハチが乱舞する光景がみられ、壮観なものがあったが数が減少している。県の天然記念物に指定されている。

朝来町 鷲原寺(高野山真言宗

鷲原寺・岩屋観音(わしはらじ)

創立年代は不明だが、法道仙人が開基したといわれる。1kmほど峡谷を入った奥の院「岩屋観音」には、石仏群が安置されている。

  • 観音山の崖の中腹にあり、鎌倉時代に石工心阿(しあん)が刻んだ十一面観音菩薩など16体の石仏が佇む。花崗岩から丸彫りされ、天井には大日如来像が浮き彫りになっている。
  • この石仏は節分と4月の春の大祭、及び毎月18日の午前中だけ開帳される。また、「絹本著色仏画十二天像」(けんぽんちゃくしょくじゅうにてんぞう)は密教で信仰される守護神で、細部まで丁寧に描かれ力感がある。
  • 図は応仁の乱で知られている山名持豊(宗全)の書と花押(かおう)が記されている。
  • 2月の節分には幸福を祈願して、1周30mもある数珠を回す「数珠くり」が行われる。

朝来町 日輪寺(高野山真言宗

日輪寺(にちりんじ)

天平年間(729~749)行基により創建されたと伝わる。本尊は如意輪観音(にょいりんかんのん)で、行基の作といわれている。

  • 像高80cmの立像は秘仏となっている。堂前にある応永年間(1394~1428)の「鰐口(わにぐち)」も貴重な文化財である。
  • 境内の近くに元禄年間(1688~1704)僧清雅(せいが)の創建といる末寺無心庵の跡がある。
  • 一堂が建ち、その中には立像で豪華な木彫の地蔵菩薩立像が安置されている。

香美町 大乗寺(高野山真言宗

大乗寺(だいじょうじ)

745年(天平17)行基自ら聖観音菩薩立像を彫刻し祀ったのが始まりとされる。

  • 戦乱のため一時衰退したが、江戸中期、密教法印が伽藍の再建につくし、弟子の密英上人(みつえい)が後を継ぎ伽藍を完成させた。
  • その後、江戸時代の革新的な写実主義の画家、円山応挙とその一門によって客殿13室165面の「障壁画」が描かれ、別名「応挙寺」と呼ばれる。
  • これは円山応挙が修行中の貧しい頃、当時の住職がその才を見込んで援助したことが縁で、その恩返しとして、一門の弟子とともに描いたものであると伝わる。「障壁画」は計算しつくされた配置により、立体的な曼荼羅を構成。
  • さらに絵画が地域、建物、空間、宗教と渾然一体(こんぜんいったい)となつように描かれ、寺全体が美術館のようになっている。また、寺の中心に位置する仏間には「十一面観音立像」が安置されている。
  • 檜の寄木造で平安末期の作とされ、縦の線を生かしたスマートな印象を与える彫りがなされている。ほかにも「聖観音立像」など貴重な文化財を多数所蔵する。

香美町 帝釈寺(高野山真言宗

帝釈寺(たいしゃくじ)

702年(大宝2)法相宗の開祖である道昭上人(どうしょう)により再建されたという古刹

  • 本堂には本尊の「帝釈天像」が安置されている。
  • 帝釈天はインド古代神話の神で仏教に取り入れられて守護神となった。眼は三眼で、鎧はまとわず、持物は筆と紙という平和的な帝釈天である。着衣の彫りは浅く、頭部に高い螺(ら)けい、それに山形の宝冠をつけているのが特徴。
  • 脇仏の「木造聖観音立像」は厄除け観音としても広く信仰されつ名仏像。
  • 両手が傷んでいるが、要所は傷まず保存されている。左手は蓮華を持ち、右手は与願印(よがんいん)であったと考えられている。檜の一木造。開祖道昭上人の自作の仏像であると伝えられるが、平安時代後期の作とされる。
  • 裳裾(もすそ)の両側が引き上げられていて、藤原時代末期の特色を表している。下半身が丈長で、すっきりとした印象がる。

新温泉町 相応峰寺(天台宗

相応峰寺(そうおうぶじ)

737年(天平9)行基によって開かれたと伝わる天台宗の寺院。当初、九品山極楽寺と称されていたが、859年(貞観元)に観音山相応峰寺と改称されたと伝わる。

  • 浜坂港に突き出た観音山の山頂に位置する円通殿(本堂)には、平安時代前期の造立とされる本尊の「十一面観音立像」が安置されている。
  • 人間的で量感があり写美的。2mを超す大像で、但馬には珍しい壇像派(だんぞうは)の作品である壇像派は鋭利な彫りが特徴で、下半身の衣文(えもん)には繊細な彫りが施されている。
  • 永年にわたるお香の煙で黒く光る姿が印象的で、榧(かや)の一木造
  • 秘仏とされご開帳は4月18日の春の例祭のみである。
  • 絹本著色両界曼荼羅図(けんぽんちょしょくりょうかいまんだらず)」は因幡の白豪寺(びゃくこうじ)から室町時代に譲りうけたもので、鎌倉時代の巨勢金崗(こせかなおか)の作と伝えられている。

新温泉町 楞厳寺
(臨済宗天龍

楞厳寺(りょうごんじ)

1360年(延文5)南溟禅師(なんめい)が建立した名刹、禅師の入滅後、但馬守護・山名時熈(ときひろ)が足利幕府の命により、多くの荘園を寄進して寺院の興隆に力を尽くした。

  • その後も代々足利将軍家や但馬守護山名氏の熱心な庇護のもと隆盛を極めた。
  • 当時は本殿を完備し塔頭末寺30余カ寺に及んだという。但馬・因幡に関係する貴重な古文書を多数所蔵。南北朝時代では「夢窓国師書状」「服部庄重書案」「香住朝網寄進状」室町時代では「山名時熈寄進状」「同画像」「山名持豊安堵状」などが残る。

新温泉町 玉田寺
(臨済宗天龍

玉田寺(ぎょくでんじ)

室町時代に南溟禅師(なんめい)によって開創したと伝わる。当時、退耕庵と称したが、江戸時代に退耕山玉田寺と名称を変更した。

  • 1777年(安永6)に本堂を建立、本尊は地蔵菩薩安産の守護仏として信仰されている。境内にある「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」は、基礎石の銘から1314年(正和3)造立とされ1975年(昭和50)に移建されたもの。
  • 鎌倉時代後期の特色をよく表しており、県下でも古い「宝篋印塔」でる。
  • 現在は第二次世界大戦の戦没英霊の供養塔として追悼されている。

新温泉町 正福寺(天台宗

正福寺(しょうふくじ)

848年(嘉祥元)湯村温泉の開祖である慈覚大師が創建したとつたえられる名刹。

  • 本堂には阿弥陀如来像が本尊として安置されている。県指定文化財の「不動明王立像」は、21年ごとに開帳される秘仏
  • 一木造で面貌(めんぼう)は引き締まり、明王としては怒りの表情が少ないことから平安後期のものとされる。衣文(えもん)の表現に特色があり、全体的に作風は素朴。
  • また、花びら10枚、1つの花にめしべが6本もあるという「正福寺桜」は珍しい桜で、学名は「プルヌス・タジマエンシス」といい、有名な牧野博士によって命名された。

新温泉町 泰雲寺
(臨済宗天龍

泰雲寺(たいうんじ)

田井(たい)の楞厳寺(りょうごんじ)の南溟禅師(なんめい)を拝詔して開山した。

  • はっきりした年代はわからないが、鎌倉末期頃といわれている。
  • 以前の寺は字釈迦堂(竹田字岡)になり長福寺と称したが、1700年(元禄13)に今の場所に移り、泰雲寺と改めたと伝える。
  • 境内に咲く「シダレザクラ」は、西日本一の幹周り(5.25m)を持ち県の天然記念物に指定されている。

新温泉町 善住寺(高野山真言宗

善住寺(ぜんじゅうじ)

創建は999年(長保元)といわれ現在の寺は1762年(宝暦12)に再建したものである。

  • 釈迦と十六羅漢が天井に描かれた堂に安置される「阿弥陀如来坐像」は檜の一木造で、肉身漆箔(しっぱく)で着衣彩色の座像である。
  • 室町時代初期の作とされる。肩から胸、腹部分に流れる衣文(えもん)の彫りが浅く軽妙で定朝風である。
  • 下半身の粗雑さに比べ上半身は顔立ちは端正で堂々とした力強さを持っている。

新温泉町 正楽寺(天台宗)

正楽寺(しょうらくじ)

前(まえ)集落にあり、創立された年代などは不明である。

  • 1837年(天保8)に隣家の出火で焼失・再建。寺に保管される「鰐口(わにぐち)」は銘帯の左右に「応永三十五年戊申三月八日」と記され、憧座には美しい蓮華を浮き出させている。
  • 室町期の工芸品として珍しく寺の歴史をうかがい知ることができす。

新温泉町 龍満寺(曹洞宗)

龍満寺(りゅうまんじ)

山号(さんごう)を諸谷山といい江戸時代から「馬北(北但馬)の鬼道場」として知られ、代々名僧が出ている。

  • 中でも第12世住職の玄楼和尚(げんろう)は、曹洞宗を復興した学僧である。
  • 玄楼和尚の門下には、山水画を描いたら天下の名僧と称えられた風外和尚(ふうがい)がいる。

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