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一度は行ってみたい!但馬の神社

古代の但馬は、「天日槍(あめのひぼこ)」の渡来伝説との関係が深く、日本の文化・経済の表玄関であったと言われています。奈良時代以降には、但馬国となる地域には2つの国造くにのみやつこが置かれてれていた。

  1. 但遅麻国造(たじまのくにのみやつこ) ⋯⋯ 但馬東部地域(のちの朝来郡・養父郡周辺)を支配した。氏族は但馬氏。第13代成務天皇の代に竹野君同祖の彦坐王(ひこいますのみこ)の五世孫である船穂足尼(ふなほのすくね)を国造に定めた。
  2. 二方国造(ふたかたのくにのみやつこ) ⋯⋯ 但馬国西部を支配した。但遅麻国造(たじまのくにのみやつこ)と同じ成務天皇朝に出雲国造同祖の遷狛一奴命(うつしこまひとぬのみこと)の孫である美尼布命(みねふのみこと)を国造に定めた。

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一度は行ってみたい!但馬の神社

  • 行先
  1. 出石神社(出石町)
  2. 絹巻神社(豊岡市)
  3. 小田井縣神社豊岡市)
  4. 養父神社(養父市)
  5. 粟鹿神社(山東町)
  6. 中嶋神社(豊岡市)
  7. 酒垂神社(豊岡市)
  8. 久久比神社(豊岡市)
  9. 雷神社(豊岡市) 
  10. 八幡神社(豊岡市)
  11. 海神社(豊岡市)
  12. 四所神社(城崎町)
  13. 桑原神社(竹野町)
  14. 鷹野神社(竹野町)
  15. 十二所神社(日高町)
  16. 気多神社(日高町)
  17. 日出神社(但東町) 
  18. 名草神社(八鹿町)
  19. 赤淵神社(和田山町) 
  20. 表米神社(和田山町)
  21. 青倉神社(朝来市)   
  22. 黒野神社(村岡区)
  23. 郡主神社(村岡区)
  24. 平内神社(香住区)
  25. 宇都野神社(新温泉町)
  26. 久谷八幡神社(新温泉町)
  27. 二方神社(新温泉町)
  28. 為世永神社(新温泉町)
  29. 牛ヶ峯神社」(新温泉町)

出石神社(いずしじんじゃ)

式内社 但馬国一宮:出石神社
(豊岡市出石町宮内)

祭神は但馬開発の祖神のひとり、天日槍命(あまのひぼこのみこと)を祀り、古代には天日槍命が持ち帰ったという八種神宝(やぐさのかんだから)を祀っていた。

  • 創建年代ははっきりとしていないが、すでに古事記にその名がみえる。859(貞観元)の日本紀略には、但馬第一の霊社としてその名が記されている。但馬国一宮といわれ、「いっきゅうさん」の愛称で親しまれる。
  • 天日槍は新羅国の王子で、伝説では五社明神とともに入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと伝える。「祭具の鉾・首部」を所蔵し、天日槍命は太陽光の化身とも、祭具としての鉾の擬人化ともいわれている。
  • 境内には禁足地とされる聖域があり、古来より一木一草も刈り取られることが許されず、禁を破れば祟りがあるといい伝えられる。南北朝鮮に活躍した名刀工「国光」作の「脇指(わきざし)」を所蔵

絹巻神社(きぬまきじんじゃ)

式内社 旧村社:絹巻神社
(豊岡市
気比

祭神は天日明命(あまのほあかりのみこと)・天衣織女命(あまのいおりめのみこと)・海部直命(あまべのあたいのみこと)を祀る。

  • 円山川とほぼ並行して南北に延びる境内の絹巻山は、社名の由来ともいわれる。
  • 火山岩の肌が絹織反物を積み上げた景色をみせる。暖地性原生林(県指定天然記念物)で覆われ、県下でも有数の規模と自然性を持ったスダジイ林が植生している。
  • アカガシ、ケヤキ、ウラジロガシなどの木々の中に、ホウライカズラなどの希少植物も生育している。ヒメルゼミの生息地としても知られる。

小田井縣神社(おだいあがたじんじゃ)

式内社 旧県社:小田井縣神社
(豊岡市小田井町)

祭神は国作大己貴命くにつくりおおなむちのみこと)を祀る。鎌倉期の「但馬国 太田文」には、小田井社々領31380分、神供田251320分とあり、当時は神仏習合で社家4、社僧(金剛、妙楽、正法、三坂)が祭事をとり行っていたとされている。

  • 戦国期、羽柴秀吉による但馬攻めの際、戦火に焼かれ、多くの社領・神供田を没収され、一時衰退した。1718世紀に社殿や神殿を復興、昭和初期の円山川大改修工事で現在の地(権現の森)に移る。
  • 1873(明治6)まで名神大社海神社みょうじんたいしゃわたつみじんじゃ)重浪神社(しきなみじんじゃ)を併祀しており、「小田井大社」と呼ばれていた。

養父神社(やぶじんじゃ)

式内社 但馬国三宮:養父神社
(養父市養父市場)

祭神は農業・養蚕・牛馬の神、倉稲魂命うがのみたまのみこと)を始め大己貴命おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、谿羽道主命たにはみちぬしのみこと)船帆足尼命ふなほそこねのみこと)5柱を祀る

  • 但馬の式内大社131座の代表格で、但馬三宮。江戸時代には養父大明神と呼ばれ、標高372mの弥高山(やたかやま)の山頂に上社、中腹に中社、現在地に下社が祀られた。
  • 農神として崇められた養父神社の祭礼日に牛市が開かれたのが、養父市場で行われる牛市の始まりとされ、諸国の博労(ばくろう・仲買人)が寄進した江戸中期の石灯籠が残る。
  • 年間多くの祭礼があり、特に4月中旬に行われる「お走り祭り」が有名

粟鹿神社(あわがじんじゃ)

式内社 但馬国二宮:粟鹿神社
(朝来市山東町粟鹿)

阿米弥佐利命あめのみさりのみこと)日子坐王命ひこいますおおきみのみこと)が主祀神で、その他、諸々の神々を祀る。但馬国一の宮と呼ばれていたこともある。

  • 延喜式に定める明神大社。古来より朝廷の尊崇が篤く、約600年前には国家の大難に際して4度の勅使が派遣され、そのご加護として勅使門が建てられたと推定される。
  • 一問一戸四脚門いっけんいっこしきゃくもん)切妻造きりづまづくり)檜皮葺ひわだぶ)き。本柱間の両開きの唐戸は、透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれ、頭貫かしらぬき)には唐草模様がみられる。
  • 秋の例祭には「瓶子渡へいじわたし)」の珍しい神事が行われる

中嶋神社(なかしまじんじゃ)

式内社 旧県社:中嶋神社
(豊岡市三宅)

祭神はお菓子の神様田道間守命たじまもりのみこと)を祀る、その昔、田道間守命は垂仁天皇の命をうけ、常世の国から不老長寿の妙薬「非時香果ときじくのかぐのこのみ 橘の実)」を持ち帰った。

  • 橘の実は菓子の最上品として珍重されており、田道間守命は「菓祖」とされるうおうになったと伝えられている。
  • 社名は、田道間守命の墳墓が、垂仁天皇陵の堀の中に浮かぶ小さな島にあることに由来する。本殿は棟札(むなふだ)から1423年(応永30)から1428年(正長元)に建造のものと推測される。
  • 全国的にも珍しい二間者流造にけんしゃながれづくり)。細部の手法にも特徴があり、室町時代中期の形式を色濃く残している。
  • 毎年、4月の第3日曜日には、祭神にちなんだ「菓子祭り」が開催され、菓子業界を筆頭に大勢の参拝客でにぎわいをみせる。

酒垂神社(さかたるじんじゃ)

式内小社 旧村社:酒垂神社
(豊岡市三宅)

酒弥豆男命さかみずおのみこと酒弥豆女命さかみずめのみこと)という酒の神を祀る。

  • 酒造りの神社として、地元では「さかたるさん」と親しみを込めて呼ばれているが、本来の祭神は地神で、「酒たる」が酒樽を連想させるところから酒造神に結びついたものとみられる。
  • 鞘堂(さやどう)を持つ本殿は2本の柱で一間をつくる一間社流造いっけんしゃながれづくり)で、屋根は杮葺(こけらぶ)き。1438年(永享10)に斧始め、1441年(嘉吉元)に立柱、1444年(文安元)に遷宮。
  • 体裁を完備したのが、1449年(宝徳元)で、前後11年をかけて建てられたと伝えられている。中嶋神社と同じ宮大工の大伴久清の建造といわれ、細部には室町前中期の特色を色濃く残している。1969年(昭和44)には改築工事が行われた。
  • 境内の紅葉は、紅葉の名所と知られる京都の高雄から移植されたもの。

久久比神社(くくひじんじゃ)

式内社 旧村社:久久比神社
(豊岡市下宮)

祭神は久々遲命(くぐちのみこと)を祀る。垂仁天皇の命により、天湯河板挙命(あまゆかわのたなのみこと)が(くぐい)を追って、但馬の地で捕らえたという伝説から社名がついたとされるが、本来、原稿の祭神・久々遲命であったのが、「鸛」に結びつけられたものらしい。

  • 近世までの神仏習合時には、庄園領主・松尾大社によって、その祭神・市杵島姫命(いつきしまひめを中心とする宗像三女神を祭神とし、仏式には胸形大明神(神名額が残されている)と呼び、真言宗文常寺を置いて別当寺とした。
  • 本殿は棟札(むなふだ)により、1507(永正4)に再建したのものとされる。比較的規模の大きい三間社流造(さんけんしゃながれづくり)で、屋根は杮葺(こけらぶ)き。
  • 1711(正徳元)に、酒垂神社(さかたる)と同じ流れをくむ棟梁・藤原勘右衛門によって、修理が行われている。

雷神社(いかづちじんじゃ)

式内社 旧村社:雷神社
(豊岡市佐野)

祭神は大雷神(おおいかづちのかみ)・須佐之男命で、いつの時代からか菅原道真を天神(芳峰天満宮・佐野天神)としてあわせて祀る。

  • 神社の歴史はかなり古く、871(貞観13)にはすでに五穀豊穣の神様として創立されたと伝えられている。
  • 佐野、上佐野、納屋の3地区の氏神として、鎮座する。現在の本殿は1656(明暦2)の再建。県下でも類例の少ない規模の大きな五間社、切妻造の本殿である。
  • 春の例祭として「御田植祭(おたうえさい)」、秋には「新穀感謝祭」が行われている。

八幡神社(はちまんじんじゃ)

旧村社:八幡神社
(豊岡市津居山)

祭神は応神天皇を祀る。山城跡に立地し、津居山湾から円山川河口部を見通すことができる。

  • 海東諸国記にある、但馬州津山関(海関)が置かれていたとみられる。
  • 境内にある「石造九重塔」は鎌倉後期の作で、高さ約6。但馬最大の石造遺物で、神社近くの浜地蔵とともに丹後由良から輸送途中、避難した舟が置いていったものと伝える。
  • 境内には漂着した海亀親子(うみがめ)の供養碑(文化年間)がある。

海神社(あまじんじゃ)

式内社 旧村社:海神社
(豊岡市小島)

祭神は大海神(おおあまのかみ)で海部(あまべ)の祖・建田背命たけだせのみこと)も祀る。

  • 周辺には津居山漁港があり、漁の無事、大漁を祈願する「ウミ神さん」として親しまれている。
  • 海部とは、かつて大和朝廷に海産物を献上した部民(べみん)のことをいう。
  • この地が古来より漁業が盛んであったことがわかる。事情は不明であるが、1873(明治6)まで、小田井縣神社に併祀されていた。
  • 社内には鰐石わにいし)磐座(いわくら)が残る。

四所神社(ししょじんじゃ)

旧村社:四所神社
(豊岡市城崎町湯島)

祭神は湯山主大神(ゆやまぬしのおおかみ)などを祀る。

  • 城崎温泉街の中央に位置し、708(和銅元)日生下権守(ひうけごんのかみ)が信託をうけ4(四所)の明神を奉祀したことから始まったとされる。
  • 古来より城崎温泉の氏神、温泉の守護神として信仰されてきた。
  • だんじり祭り」は、四所神社の秋の祭礼。外湯のひとつ「一の湯」前で、だんじり(屋台)が激しくぶつかり合う三つ巴の争いは迫力があり、毎年、多くの見物人が訪れ

桑原神社(くわばらじんじゃ)

旧村社:桑原神社
(豊岡市竹野町桑野本)

祭神は保食神(うけもちのかみ)を祀る。9の「行道面(ぎょうどうめん)」が神社に残る

  • もとは菩薩面10、僧形面2面があったが、菩薩面3面は洪水により流失した。
  • 1191(建久2)815日、竹野浜にある鷹野神社(たかの)の祭礼舞楽の際に使用された面といわれる。現在の菩薩面は、3つに類型できる。
  • 1号面は繊細優美な藤原様式、23号面は頭に金具を付け、彫法は精巧、47号面は顔の輪郭、眉、鼻、唇など表現は大まかで、鎌倉時代の特色を示している。
  • 僧形面2も、喜びをユーモアたっぷりに表現した鎌倉期の作品。

名草神社(なぐさじんじゃ)

式内社 旧郷社:鷹野神社
(豊岡市竹野町桑野本)

祭神は神武甕槌神(かみのたけみかづちのかみ)などを祀る。社名は但馬国 造(くにのみやつこ)といわれる竹野別氏(たかのわけし)の居住地であったことが由来とされる。

  • 江戸時代には武門の信仰篤く、豊岡・出石藩の歴代藩主が武運長久を祈願するため参詣した。
  • 竹野は北前船の寄港地であったこともあり、当時の船頭たちが奉納した船絵馬や、日和見や入船の連絡に使われた方角石などが残る。地元の人は親しみを込め、「浜の天神さん」と呼んでいる。

十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)

旧村社:十二所神社
(豊岡市日高町松岡)

祭神は伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美両神(いざなみ)を祀る。かつて若宮大明神と呼ばれ、熊野信仰の普及によって数多くの同系の神社のひとつとなった。

  • 春の例祭につきものの虫はらいの行事として「松岡御柱(まつおかおとうまつり)ばば焼き」が知られ、雅成親王妃まさなりしんのう)をだまして悲運の死に追いやった老婆を焼いてこらしめるという伝説に結びついた。

気多神社(けたじんじゃ)

式内社 但馬総社 旧郷社:気多神社
(豊岡市日高町上郷)

祭神は天日槍(あめのひぼこ)との領土争いで、養父郡と気多郡を得た葦原志許男命(あしはらしこおのみこと)を大己貴命(おおなむちのみこと)として祀る。

  • 近世までは総社気多大明神と呼ばれていた。気多郡の郡名はここからきている。通称は「けたさん」。鎌倉時代の田地面積を記した「但馬国太田文」によれば、大般若田4町、30講田15反もの社領があったとされる。
  • ケタ」はロシア語で鮭を指す。能登・因幡にも気多神社があり、因幡では但馬同様、その所在地気多郡である。

日出神社(ひのでじんじゃ)

式内社  旧村社:日出神社
(豊岡市但東町畑山)

祭神は多遲摩比多訶神(たじまひだかのかみ)を祀る。

  • 本殿は室町末期の建築物といわれ、三間社流造(さんけんしゃながれづくり)で屋根は杮葺(こけらぶ)き。庇(ひさし)の組物、蟇股(かえるまた)の間(加重を支え、また装飾目的の部材)を板壁でふさぐ手法が特徴的である。
  • たばさみ、蟇股などに繊細な彫刻が施されている。
  • 境内には、後醍醐天皇の皇子である恒良親王(つねよししんのう)が幽閉されたという黒木御所の跡や、舞殿(農村歌舞伎台)が残る。

名草神社(なぐさじんじゃ)

式内小社  県社:名草神社
(養父市八鹿町石原)

祭神は名草彦命(なぐさひこのみこと)を始め、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)など7柱を祀る。

  • 五穀豊穣の守護神。標高1,139の高さを誇る妙見山の山腹にある妙見集落に鎮座する。
  • 本殿千鳥破風ちどりはふ)軒唐破風付入母屋造のきからはふ)杮葺(こけらぶ)きで、随所に豪華な趣をみせる。
  • こうした姿は日光東照宮を模してつくられたとされ、建立は1754(宝暦4)と伝えられている。拝殿は厳島神社を模し、建立は1689(元禄2)。本殿と相対しており、正面が5間で側面が2間あり、中央1間を通路とした形で、割拝殿わりはいでん)という。
  • 名草神社で最も古い建造物。境内の標高760mのところには、丹塗りの鮮やかな「三重塔」を譲り受けたもの。建立は1527(大永7)
  • 屋根は杮葺き、高さは23.9あり、3層目の軒下には4隅に4匹の猿の彫刻が置かれている。「見ざる、聞かざる、言わざる」という3猿は有名であるが、あと1匹は「思わざる」といわれている。

赤淵神社(あかぶちじんじゃ)

式内社  旧県社:赤淵神社
(朝来市和田山町枚田)

祭神は但馬日下部氏の祖先神である赤淵足尼神(あかぶちそこひしん)・大海龍王神(だいかいりゅうおうしん)・表米宿禰命(ひょうまいすくねしん)の3柱を祀る。

  • 本殿は規模の大きな三間社流造(さんけんしゃながれづくり)の杮葺きで、古い三間社流造の様式を残している。建立年代ははっきりとしないが、建築様式・手法から室町時代前期のものと推測されている。
  • 但馬に多い笈形式妻飾(おいがたしき)りの先駆的建築物である。向拝(こうはい)に修理の跡がみられるが、ほとんど当時のまま。
  • 1992(平成4)には文化庁の補助により、「平成の大修理」といわれる本殿と履屋(おおいや)の大改修が完了した。
  • 山名四天王といわれた室町から戦国期の武将八木氏代々の崇敬は篤く、本殿・門・庇(ひさし)などは1694(元禄7)に旗本となった八木宗直(むねなお)の子、八木勘十郎宗職が大願主となって再建し、1797(寛政9)に修理したと伝えられる。
  • 四脚門様式で、材料は欅。また、お堂には、赤淵神社の別当寺であった神淵寺(しんねんじ)の本尊・阿弥陀如来坐像が安置されている。
  • 古風でありながら写実的な新しさがあり、耳の形から鎌倉時代の作といわれている。なた彫りといわれる荒々しいノミの跡を残した、毘沙門天立像も神淵寺から移されたもの。

表米神社(ひょうまいじんじゃ)

旧村社:表米神社
(朝来市和田山町竹田)

祭神は表米親王(ひょうまいしんのう)を祀る。境内の参道左手に広場を有し、全国的にも珍しい半円形石積段型桟敷(いしづみだんがたさじき)相撲桟敷(すもうさじき)」が残っている。

  • 中央の土俵を囲んで半円形に5段の石積みが施され、現代でいう野外観覧席のような趣。
  • 江戸末期・明治期の座席割図が各1まい残っていることから、村の行事に利用されていたことがわかる。
  • 正面には舞堂(まいどう)もあり、歌舞伎など芝居見物にも使用されていたとされる。

青倉神社(あおくらじんじゃ)

式内社:青倉神社
朝来市山内権現谷

青倉山(811m)の中腹にある神社。善隆寺(納座地区)の奥の院とされる。

  • 創建時期は不明であるが、2階建ての社殿は、ご神体である巨石神像を覆うように建てられ、1階の拝殿から高さ12mの一枚岩である巨石神像を拝む。目の神様」として知られ、巨岩の裏より湧き出る水は御霊水と伝わり、目の病気に効くと言われている。
  • 「昔、目にウドのトゲが刺さった父親を、親孝行の息子が心配していたところ、神様が夢枕に立ち、「岩から湧き出る水をつけると治る」とお告げをした。息子は山々を巡って巨岩の奥から流れている清水を見つけた。それを持ち帰り、父親の目につけると、痛みが消え、目が見えるようになった 」と言う伝承が残っている。

黒野神社(くろのじんじゃ)

式内社  旧県社:黒野神社
(香美町村岡区村岡)

祭神は天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)のほか3柱を祀る。

  • かつて伊津岐山(いつきやま 宮山)にあったことから、別称、伊津岐神社という。
  • 1436(永享8)に現在地に移ったとされ、創建は807(大同2)と伝えられる。
  • 江戸時代には社領の寄進を受けるなど村岡領山名氏の保護が篤く、歴代藩主は城中鎮護の氏神として崇めた。
  • 神社真向かいの山の中腹には、山名氏3代矩豊(のりとよ)から8代義方(よしかた)までの墓碑が並ぶ。「絹本著色釈迦十六善神像(けんぽんちゃくしょくしゃかじゅうろくぜんしんぞう)」は、南北朝時代の作といわれる。
  • 鎌倉時代に隆盛であった、「大般若経」の転読に使用された本尊。釈迦如来を中央に、十六善神が守護するように描かれ、切金を多用した落ち着いた作風。
  • 鎌倉時代の舞楽面「貴徳面(きとくめん)」が保存されている。

郡主神社(ぐんしゅじんじゃ)

郡主神社
(香美町村岡区板仕野)

祭神は大物主神(おおものぬしのみこと)を祀る。棟札(むなふだ)から、1408(応永15)の建立とされる。

  • 江戸時代の寛永、享保年間などに数回の修理がなされた。本殿は三間社流造(さんけんしゃながれづくり)で、屋根は板葺き。身舎(もや)と向拝(こうはい)のつなぎは、中央を海老虹梁(えびこうりょう)、両端を大面取りのつなぎ虹梁という珍しい形式をとっている。
  • 15世紀初頭の建築様式を伝える貴重な建築物である。

平内神社(へいないじんじゃ)

式内社  旧村社:平内神社
(香美町香住区余部)

祭神は門脇宰相平教盛(かどわきさいしょうたいらののりもり)伊賀平内左衛門家長(いがへいないざえもんいえなが)平家の武将

  • 平家伝説が色濃く残る香美町御崎(みさき)で、古くは御霊荒神と称し、平家の氏神として信仰が篤い。壇ノ浦の戦いに敗れ、この地にたどり着いたのは、門脇宰相平教盛を大将とする7人の武将。山中から立ち上る一条の炊煙を頼りに崖をよじ登り、そこで出会った修験者に土着を勧められた一行が身を置いたというのが村の始まりとされる。
  • 毎年128日に行われる「百手(ももて)の儀式」では、土着した平家落人、門脇、伊賀、矢引の武士に扮した3人の少年が境内で101本の矢を射る

宇都野神社(うつのじんじゃ)

旧村社:宇都野神社
(新温泉町浜坂)

祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)・大国主命を祀る。

  • 創立年月は不明であるが、1414(応永21)に社殿を再建したと伝えられる。
  • 棟札によると、その後荒廃したのか、1662(寛文2)、当村の名主たちが同町赤坂の牛頭天皇宮(ごず)をもって再建した。
  • 夏の例祭、川下祭(かわすそまつ)りは京都・八坂神社の祇園祭にちなんで行われたとされる。境内に湧き出る清水は、「鮑(あわび)の霊水」と呼ばれ、その昔、大鮑が船の穴をふさぎ、遭難を救ったという伝承に由来する。

久谷八幡神社(くたにはちまんじんじゃ)

旧村社:久谷八幡神社
(新温泉町久谷)

正八幡宮」と呼ばれ、以前は香美町と町境にある蓮台山頂にあったが、1414(応永21)、現在の場所に遷宮された。

  • 久斗の庄の一の宮」ともいわれ、領主・領民の信仰が篤かった。
  • 915日に奉納されるざんざんか踊り県の無形民俗文化財に指定されている。
  • 境内には、1912(明治45)に山陰線工事の犠牲者を供養した「招魂碑」があり、朝鮮名も刻まれている。明治期に朝鮮人犠牲者を供養した碑として注目されている

二方神社(ふたかたじんじゃ)

式内社  旧村社:二方神社
(新温泉町指杭)

祭神は美尼布命(みねふのみこと)と大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る。

  • 二方郡五社の筆頭であり、地元の人は「土原(つちはら)さん」と呼ぶ。
  • 二方は旧郡名で、久斗川と岸田川の2つの谷筋に入る地域をいう。
  • 1578(天正6)に洪水で社殿が流出するが、江戸時代に備中の人、福原安宏が一夜神託を受け、1686(貞享3)、村民と図り再興。
  • 1920(大正9)に再び大洪水で社殿が流された。その後も、社殿が大雪で壊れ、現在は田井兵主神社に仮に移されている

為世永神社(いよながじんじゃ)

為世永神社
(新温泉町諸寄)

祭神は塩土翁神(しおつちおきなのかみ)を祀る。

  • 諸寄港(もろよせこう)を見下ろす高台に鎮座。諸寄港は北前船の風待ち港として栄え、境内には、全国の船主などから寄進された玉垣が残っている
  • 公開の安全・商売の繁盛を祈願して奉納された船絵馬は、現在は同じ諸寄にある八坂神社社務所に保管されている。

牛ヶ峰神社(うしがみねじんじゃ)

牛ヶ峰神社
(新温泉町八田)

牛馬保食神(うけもちのかみ)として、689年に創立され、752(天平勝宝4)、行基によって蔵王権現像(ざおうごんげんぞう)が神仏習合として祀られるようになったと伝わる。

  • かつては海上(うみがみ)・越坂(おっさか)・内山の3ヶ村、及び因幡の新井・銀山・鳥越の3ヶ村、計6ヶ村を氏子としたが、因幡は幕末に分離した。奉納相撲が名物であった。
  • 毎年718日に例祭が行われ、牛を飼育する農家の参詣が多かった。

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